「おれ」は「働く」。
自宅では毎日夜中まで仕事だったため、「夜は静かに寝ているもの」という習慣が無くなっていた。一般的に、例えば、ツレの家で遊んでいて夜10時頃になると「もう寝るから。静かに遊びなさいよ」とツレが親に言われていたり、そのタイミングでツレの家を出る頃は、夕方には顔を合わせたツレの家族も姿が無く家中がひっそりとしているものだが「おれ」の家は違った。夜10時頃帰宅すると「おー、えのかぷちゃん。おかえりー」と社員が声を掛けてきたり、玄関の外では数名の社員がタバコふかしながらワイワイ喋ったりしていて、とにかく夜中まで賑やかだった。
そんな環境が日常だったせいもあったのだろう。夜遅く帰宅しても親から小言を言われる事は少なかった。まぁ、あれだ。「小言を言われなくなった年頃の男の子」ともなれば誰だって羽ばたくよな。まるで翼を得た「イカロス」のごとく、「おれ」は羽ばたいちゃうわけだ。とにかく夜な夜な遊び歩き、とてもココでは言えない悪行の限りを尽くした。その結果、ついに「おれ」は高校をクビになり、17歳(高2の夏)で社会人となった。
ちなみに、「おれ」が入学した高校は男子校。「とにかくー名前―だけ書きました!」という歌があったが、正にその通りで「とにかく名前だけ書けば受かる」というレベルの高校だった。でも、「そこ落ちた」という破壊力抜群のお花畑が「おれ」のツレに一人いたという事は今でも笑い話なんだが、ここの高校。中学3年生の進路相談の段階で話には聞いていたが、入学式には「リーゼント、長ラン、ボンタン」が集まり、保護者席にはヤクザの風格がチラホラ。初の登校日には駅で喧嘩、駅から高校までの直通バス内で喧嘩、正門で喧嘩、クラスで喧嘩、な高校だった。
駅から高校までの直通バスは、もちろん登校時間帯はどちゃくそ混んでて、バスに乗るのも命がけ。強引に乗ったものなら先に乗っている上級生からケリが飛んできて、バスの車外に放り出される始末。こんな高校だ、言わずもがな「入学から1か月」で生徒同士の力関係が確立する。元々大人しい奴達は別だが、イキがってみたものの勝ち残れなかった奴達はバツが悪く退学していった。そして、登校初日には1クラス50人ぐらいいた生徒数も、2学期が始まる頃には各クラス1/4ぐらい生徒が減っているというトンデモな学校だ。だが、それでも一応普通の「高校」だ。とにかく卒業さえすれば「高卒」の資格が得られたわけだが、残念ながら「おれ」には不向きだったようだ。
さて、翼を失ったイカロスは真っ逆さまに落ち地上にキスした(アンダルシアに憧れてネタ)ワケだが、「高校退学」「社会人デビュー」は「おれ」にとって「翼を失った」わけではなく、むしろ「羽増えてんじゃん」的な展開だった。
散々遊んで高校までクビになった「ろくでなし」野郎だった「おれ」だが、実は「仕事」に対しては真面目だった。それがなぜかは今でもわからない。とにかく、仕事に対しては「真面目にやる」という意識が根付いていた。自営だったからか、家の仕事を手伝っていたからなのか。高校1年の時バイトしていた時期があったけど、遊びまくっていた当時でも、勤務時間中に「おちゃらける」事はあっても、とにかく手元の仕事は本当に真面目にこなした。タイプで言うと「権田二〇作(湘爆ネタ)」タイプだろうか。
だから社会人になっても、真面目に働いた。手元の仕事も真面目にこなした。
「おれ」の社会人デビュー第一ステージである職場はガソリンスタンドだった。休みは週一で、朝7時から夜7時までの12時間労働で時給は800円。一見、高校生活に比べたらまるで「天国と地獄」なみの差があるが、「おれ」は全然辛くなかった。平日は「起きたら仕事。帰宅したら寝る。」の繰り返しだったから両親が「大丈夫か?」と心配するほどだった。
学生時代は学校サボりまくっていたが、仕事は無遅刻無欠勤で働いた。もちろん、疲れや眠気で「仕事行きたくねー」という日もあったが、何より、毎月20万円以上のお金(給料)を手にできる事が、「おれ」は最高に嬉しかった。その金で、当時乗っていた「おれ」の愛車「愛称:銀蠅(ぎんばえ) スズキ セピアZZ リヤスポ銀メッキ仕様」に、チャンバー付けたりプーリー変えたり、色々改造したり飾ったりするのが最高に楽しかった。
続く。